「だから人は孤独になれるんですよ。」
夜テレビをつけたら、
「爆笑問題のニッポンの教養」FILE037:「私の愛したゴリラ(後編)」で、
山極壽一さんという世界的なゴリラ研究者(京大教授)の方が
とっさにそう言っていた。
爆笑問題の太田さんが、猫に対して自分が、
「こいつ何にも考えてないんだろうなあ」っていうのを求める時と、
人間とよく似た動作をして、「今何か考えてた?」っていうのを求める時と
両方あって矛盾してる、なんて話をしていた時の返し。
うろ覚えだけど。
そうやって、対象物に自分と同じ「心」を見る人間、だから孤独*1で居られると。
動物との対比で言ってたんだろうな。
その辺しか見てなかった(おい)ので分からないけど。
動物や植物、時には無機物にまで、
その行動に、佇まいに意味や理由を想起することによって、
人は1人で、対話を完結させる。
何かしらの感情を投影したり、情感を感じ取ったり、それにまた自らが応答したり。
確かになあ、そうやって、物理的な「1人」であっても
豊かに過ごしている気はする。
(一応ここでは、自分が対象物に表象を照射してることにしておく。
”本当に”あちらが意味を発している・・・かもだけどねぃ)
私は一人っ子なんだけど、
どうも他の一人っ子見ても自分を見ても、独り言多いもんね(笑)。
いや全部口に出してるわけじゃないけど。
まあ猫なんて見てても全然孤独で居られてる気がするけどw、
それはそれでまた脳の仕組みが違うんでしょう(笑)。
甘えん坊の時はこれでもかってほど甘えん坊だからな。
上司の好きな中島らもさん曰く、
”「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある”
だそうだけれど(『今夜すべてのバーで』?)、
いろんなことを知っていれば知っているほど、もしくは、感性が豊かであればあるほど、
人は1人でいても大丈夫なのかもしれない。
しかしなあ、逆に言うと、そういうことなしに「孤独」というのは
じゃあ、出来ないんだろうか。
どうだろう。
知覚がそれなりに働いてしまっている人間の場合、
世界に何か意味を見つけないと、
もしかしたらそれだけじゃなくて、自分が自分で居ることの意味も見つけないと、
その、ぽっかりと空いた心に、
妄想と杞憂と不安が襲い掛かって、
そして死んでしまったりするんだろうか。
まあ、世界は私に呼応するもので、それによって私が充足を創り出せるのであれば、
じゃあ世界は、私が都合よく思い描けばいいことだ、とは思うけれども。
なんて、1人じゃ一番生きていけないのが人間という種か。
強がってちゃいけませんね。
脳内に閉じていたって、それだけじゃ生きていけないんだわ。
ほんとはね。
なんか今全員で妄想しながら、
騙し騙し生きてるような気もするけどね。
ふとポリゴンミスに気づいてしまった人だけが、逆に静かに狂っていたりなんてね。
あれ何の話だっけ。
ゴリラかっこよかったなあ。
*1:ここでいう孤独は、単に群れなくても1人で居られるというだけの意味