旧 はてブついでに覚書。

はてなダイアリーを移植して以降、更新しておらず

web性善説を信じる勇気。


昔何かで見かけた話に、
どこかの、日本よりは先進国ではない国から来た人が、
普通に、店の入り口にある傘置き場を見て、
盗みたいというわけじゃないけど、、持って行きたくなりますね、、。
とコメントしていた、というのがあった。


その人の国だと、無防備に放置されたものなんて何でも、
盗られてしまう感じなんだろう(そして放置したほうが悪い)。


どのくらいのものまで放置されていて大丈夫なのかはわかんないけど日本、
傘くらいだったら盗りはしないよ、っていう豊かさはあるんだなあということと、
後はまあ、人様のものを盗むということの
卑しさというか心の貧しさというか恥みたいなものを、過剰に教育されたので
相当切羽詰ってもそれだけはやりたくないものだ、と結構みんな思ってるんじゃないかなと、
(違う??かなあ。でも他の国の人は、盗んだら臆面も無く勝ち誇りそうだけど、日本人は割と、恥しそうに盗むよね、盗む人も、、)
思ったんだけれども、、。


web2.0でオープン、フリーを実現する過程で、
結局試金石となるのは、
こういった”文化”の差によって、オープンが成り立たなくなる、
可能性が出てきた時かなと思う。


例えば日本、突如移民解禁になるとかで、
傘なんて放置するわけないじゃん、っていう文化の国から人がどっと押し寄せたら、
一瞬のうちにして街から傘が消えて、そしてそれと同時に、
今までお互いの信用によって便利に使えていた傘立てもなくなるだろう。
(同じ理由で、自動販売機や、一戸建てATMや、自転車や、、、)
お互い、モノを肌身離さず持ち、盗られたら隙があるほうが悪い、人を見たら泥棒と思え、
という物言いがそのまま当てはまる国になる。



web2.0の場合の文化の差っていうのは、今度は国じゃなくて、
お互いにオープンであり続けることでお互いに最大限の利益を得るという2.0的な思想と、
webにあくまでもリアルと同じ貨幣を持ち込みたい思想の差だ。


web2.0は、性善説に基づいている。
自分が、思い切ってオープンになる。
搾取されるかもしれないという不安を捨てる。
利用されるかもしれないという猜疑を捨てる。
クローズドにしておきたい、目先の利益への執着を捨てる。
そして、「全体への貢献」を選ぶ。


それを見た周りが、リスペクトする。その勇気を。その思想を。
そこからオープンの連鎖が始まる。
自分がオープンな世界から得た無限の利益に感謝する。
そしてその姿勢への敬意として、
自分もまた、見返りを求めずにオープンであることに徹するのだ。
そこに存在するのはもはや貨幣ではなくて、
今度こそ本当に、お金と結びつかない、尊敬であり、地位であり、名誉だ。


全ての人が得をする。全ての人がそうである限りは。



さて、ここに、今までどおりの、知らせないことが利益を生むという思想が入ってこようとする。
オープンなwebの世界の利益を享受するだけしておいて、自分の情報は出さない。
クローズドの成果物を作り、値をつけ、売る。


誰かがそれになびく。目先の利益がちらつきだす。
リアルの世界は未だ貨幣によって動いている。
オープンなんて、時間の無駄で金にもならないことやってる場合じゃない。
ちゃんと金取れよ。もっと見えるように金を動かせよ。
所詮オープンで勝ち組になれる企業なんて一握りだ。
あとはリアルなやり方で、今までどおり情報格差や物の格差を利用して儲けるしかないんだ。
フラットな世界がなんだ。
囲い込め。山を作れ。谷を作れ。柵を作れ。国境を作れ。防衛しろ。攻撃しろ。ネガティブキャンペーンを張れ。情報は外に出すな。帰属へのインセンティブを上げろ。離脱のデメリットを協調しろ。。。



さて、2.0陣営はどうするか。
2chソースのアフィリエイトブログもんだいのときみたいに、
一斉に相手を炎上させ葬る力が必要?
え?でも、そんなことしたら、オープンじゃないじゃん。
お互い自分がそうしたいからオープンなのに、他人がオープンじゃなくなったからってとたんに怒り出すのおかしいよ。
所詮似非オープンかよ。。。


って、まあ、きっと、そうはならない。
クローズドであろうとする思想は、きっと淘汰される。
もちろんオープンな人は怒り出さない。
そんなことは、オープンであることを決めた時点で、可能性を予想できたことだ。
ただ暖かく、無視し、スルーする。
もしかしたら一部の人は、軽蔑し、蔑む。
すぐに、他の誰かが、同じスペックを持った、フリーのサービスをぶつける。
そして示す。クローズドの小ささを。つまらなさを。


例に出した日本の傘だって、日本の人たちが過剰反応せずに、
自分の傘を1,2本犠牲にしてでも、
新しく来た違う文化の人たちに、それは自分の益にならないことや、
お互いに信じあったほうがどれほどのメリットがあるかを、
毅然と、余裕の態度をもって、示していけば、
日本の傘立ては、そのまま、なくならないんだ。


自分が無限に貢献することを喜び、
自分が無限に受け取ることを許すと、
自分も他人も、心が平安で、楽しくなる。


その穏やかさがが、貨幣なんか使わなくても得られる楽しさが、
何よりも人生で価値があると信じて、
2.0を、まだまだ色々実験して行ってみたいものですなあ。
ゆうきをだして。



・・梅田さんの、


二〇二五年までの半世紀を代表する思想・哲学はどこに


を読んで思った。
哲学科に居(寝)てた記憶から言うと、思想も「学問」としてやってしまうと、
学者の性なのか、他の学問と同じように、もっと新しいものはないか、もっとメタはないかということで、
広がり、試される間もなく(というほどには最近はないのか)、否定、淘汰、止揚の波が押し寄せてくる。
でも、シリコンバレーとか、企業とか、全然別のところから、
最初から実践として現れてくるのなら、
それは学者が研究したり、発表したり、人々が押付けたり、運動したりするものではない、
ただ淡々と広がるという、一番正しい思想のあり方が、実現するのかもしれないなあ。




(歴代関連妄想、、)
普遍とメタと、神。
『ウェブ進化論』の文系的妄想(web2.0が気付いた2つの真実)
共産主義2.0??
web2.0→貨幣要らずに挑戦?