大きな世界を守る、きっと頭のおかしい人たちについて
自分の見えている世界に対して
人はバランスを取ろうとする。
自分しか見えてない人は、自分だけが利するように行動するし、
周りもある程度気にしている人は、その中で出て行ったり身を退いたりする。
村が世界の人は村内での立ち位置を、
日本が世界の人はその中での自分の存在意義を、
なんとなく考えて生きてる。
オカシく見える人、変な人はたまに
とても大きな世界を世界と感じて生きてる。
彼らの合目的、彼らの合理的は、
小さな世界の住人にはいつも不可解だ。
彼らが善き方向に変えていこうと、バランスを取ろうとしている世界が大きすぎて、
小さな私達には見えない。
彼らが自己実現よりも、その世界のバランスを優先すること、
そのためにその世界の単なる一要素となれとも、単なる道具となれとも全然かまわないこと、
そしてその世界に於いて自分が不必要と判断したなら、
それがたとえその人のアイデンティティと同義でも、退いてしまうこと。
俺が解決することより、その世界が解決されることがその人の目的であること。
そういう人たちは、世界に一定数いてくれて、
小さな世界を見ている人たちから、変人呼ばわりされながら、空気読めとか言われながら、
それでも自分の信念に従って、不器用に、崇高に人生を終えていく。
そういう人たちに、守ってもらいながら、私は狭く視野を設定し、好き勝手に生きてる。