「仕事を通じて、ダイレクトに社会貢献したい」は甘いか?
いつの時代でも世代間の価値観ギャップはあるわけだけれど、
経済が右肩上がりとか、今頑張れば将来がもっとよくなるとか、そういう価値観の人たちと、
バブル崩壊後に社会人になった現代の若者達の価値観がずいぶん違うことは、自分がその渦中にいることもあって、よく感じる。
82〜83年生まれにとっては、小学校低学年頃がバブル経済のピークだった。その後、日本経済は、ここ数年の「実感なき経済成長」を除けば、「ずっと景気が悪い」のだ。彼らからすれば、ものごころついて以来、「景気というのは悪いのが普通」「明日は、今日より悪いことの方が多い。今日と同じなら、もうけもの」という感覚の方が普通だろう。
私はこの年代より5歳上だけど、小学生も中学生も日本では経済リテラシ的に変わらないから、大体同じような感覚を持っている。
これまでの経験では、「仕事を通じて、ダイレクトに社会貢献したい」という20代が多く、それを仕事へのモチベーションにしたいという声の多さに驚かされた。我々の世代の「仕事を通じて会社を成長させ、間接的に社会にも貢献する」というのとは、少し違う。例えば、環境負荷を軽減するための仕事だったり、マイクロファイナンスを通じて貧困を減らす仕事だったり、といった、より直接的な社会貢献の仕事への希求が強い。就職活動中の学生がこういう思いを持っているのは当然として、社会人になっても、「そういう仕事ができるなら、転職したい」という人が相当数いた。
豊かな社会の中に生まれ、かつ経済成長が様々な社会矛盾を解消するという経験も少ない人たちにとって、「究極の自己実現」は社会へのダイレクトな貢献かもしれない。少し前に、「ほっとけない」というテーマでホワイトバンドを購入し、貧困・飢餓を削減する運動が、一種流行のようになったが、それをサポートするのと同じ感覚だろうか。
我々の会社の場合、コンサルタントとしてのスキルを使って、NPO(非営利組織)などに対して無料コンサルティングする「プロボノ」という社会貢献活動を行っているのだが、就職希望の人たちが最も強く反応したのは、この活動に関してだった。
なるほどねぇ。
これは私が大学出たての頃の感覚に近いな。今もそんなに変わらないけど。
一部の人はこういう感覚を、儲けることからの逃げというか、甘いという見方で見るのかもしれないけれど、
社会としては、若者がとりあえずは金を稼ぐじゃなくて、社会貢献をと考えるようになるっていうのは文化としてはとても成熟していると思う(マズローの承認欲求的な意味で)。
まあ、大学までの間に経済リテラシをほとんど教わらないというのもあるけれど。
閉鎖空間でギリギリまできれいごとだけ教わっておいて、はい社会に出ましょう手堅く稼ぎましょう!って言われても、ねぇ。
私はどちらかというと、経済そのものが怖かった。モチベーションも全く起こらなかったし、お金はほしいけど、いざ分厚いリクルート雑誌を見ても、ひとつも興味が湧かなかった(まあこれも今も一緒か)。
まあだからって社会貢献って言われてもそれもそんなに興味ないんだけど(おい)、ゼロからプラスに持っていく(世の中に何かを生み出す)よりはマイナスからゼロに持っていく(世の中の足りないものを埋める)ほうがまだ”何をやらなきゃいけないか”が明確なわけで、少しはやる意味も見出せるってもんだろう。
あと、やっぱお金で浮かれたバブル崩壊のトラウマっていうのは結構あって、その後に空前の「本質」ブームが来たわけだけど、つまり、みんな「ほんとうにたいせつなもの」じゃなきゃもろくて危なっかしくて人生なんか賭けられないのだ。
逆に言えば、20代前半の感覚を知ったうえで、こういう活動をさらに積極的に行うことが、優秀な人材を獲得し、活用していくうえでの重要なポイントとなる。
もちろん、同世代でも個々人によって、マズロー言うところの「自己実現欲求」の中味は異なるはずだから、あまり一般化することはできないだろう。ただし、こういった考え方・感覚があるということを発見し、その理解をもとに、コミュニケートしていくことで、20代前半の人たちを、よりうまく活用できるのだろうと思う。
この方はコンサルタントということだけれど、そういう若者の経済から一歩引いたところをそんなんじゃ甘い、という言い方をせず(上手いこと右肩上がりの経済に乗った逃げ切り世代に限ってさも自分がそうやってきたかのようにそういうことを言うのにはうんざり)、
そういった社会貢献的なことをしたいモチベーションと今の経済を上手くつなげる方法はないかと考えているようだ。
私は最近、60代前後〜の「社会貢献をしたい」だけの人たちの「いいことをしている」という邪悪な善意(そう、邪悪なのだ。効率が悪いことを指摘すると私達はこんなにいいことをしているのに!思いやりで!!と全力で悲しむ。学級会のように。)にちょっと辟易気味だったりするのだけれど、
承認欲求的な意味では上位までたどり着き、経済的にはまだまだこれからという現在、
「本質」ブームや「ほんとうにだいじなもの」への切実な欲求は枯れることはないと思うし、
その方向で上手いこと経済に組み込んでいくしかモチベーションが上がらないのではという気がする。
いや、もちろん儲けることそのものが楽しい人はそれで問題ないわけだけど、
逆に世の中金だけじゃない、とか嘯いていられる景気でもないわけだし、とうとう両方両立させることから逃げられなくなってきた、というか。
「社会貢献」だけやってても効率が悪ければ迷惑だし、「経済」追求だけしていても自分という存在が疎外されてしまうのはもう我慢できる時代ではないわけで。
なんか、贅沢だけどね。でも贅沢だからって諦めるもんでもない。
ネットが代替するとは思わないけど、結構な部分を補完できると思うし。
10年前は怖かった経済も、誰もがみんな大してわかってないということがわかった上に、まだまだやりようがあるのではと思わないでもないので、やっと最近興味が出始めた次第。ゆとり世代に引っかかってないけど、充分のんきな脳ですね(笑)。
まあ、現時点で先生が経済を教えられるとは思わないので(彼らは基本的には、経済を追求する人生を捨て、究極の社会貢献を選んでその職に就いたわけで・・)、
そういう人を外部から呼んで、そういうリテラシをつけるような教育をしていくということも、同時に必要なんだろな。結構緊急に。